なっぱの記録

感じたことをちょっとだけ。

正しい世界で正しく生きる。-2015.11.17/12.1 舞台 MORSE-

よく見る夢がある。
自分の目に見える景色には、だれもいない。
森でも街でも学校でも砂漠のような場所でもたったひとりでいる夢。そして、だんだん右も左も上も下も色や匂いも温度も自分の中にある全ての感覚が分からなくなってくる。
そんな時、決まって誰かの声が聴こえてくる。姿は見えないけれど、はっきりと大きな声で私に問いかけてくる。''それ、美味しいの?''とか''それ、好きなの?嫌いなの?''とか、いろいろ。でも、美味いも不味いも好きも嫌いも感覚がないから、その問いかけには答えられなくて。
ただただ、怖くて苦しくて自分の恐怖心が限界を迎えた時に目が覚める。目が覚めて夢だったと分かっても恐怖心は消えなくて。1日中、怖くて不安になる。
だって、自分の感覚が正しいのか正しくないのか分からないから。
そんなことを思いながらまた目を閉じる。

正しさは正義だ。やーーーーーーーっ!!!!!!!(オスカー風に)
お酒と息子に依存する母に自分のパートナーと暮らす父、豚野郎といじめる友達、そして…エリ。

"ママはいつも正しいことを教えてくれない。"と言ったオスカー。オスカーにとって正しさとはなんだったのか?

"オスカー、約束して。窓を開けて正しい世界で生きるの。"

物語の終盤にエリが言った言葉。
約束は嫌い。と言ったエリが、闇の世界でしか生きていけないエリが言い放った言葉。
一度、窓を開けて正しい世界で生きたオスカー。でも、オスカーにとってその世界は、正しい世界なんかじゃなかった。

そんな時に起こった事件。
彼を救ったのは、エリだった。エリは"必ず助けにいく"というオスカーとの約束を守った。でも、その時、オスカーは"窓を開けて正しい世界で生きて。"というエリとの約束を破った。…いや、破ったようで破っていない。"窓を開ける"とは光のある世界であること。闇の世界で生きるエリとは一緒に生きていけない。
でも、オスカーにとっての正しさが"母や父と暮らすこと"でも"豚野郎と友達からいじめられる世界で生きてくこと"ではなく"エリと一緒にいること"だとしたら、エリと一緒に違う街へ向かうオスカーはエリとの約束を守ったことになる。

いつから好きとか嫌いとか、正しいとか間違ってるとか素直に言えなくなったのだろう?
年を重ねて、いろいろなことを経験して得たものもたくさんあるけど、その分、失ったものもあった。

"人と人は「トン」と「ツー」のたった二つの信号で繋がることができます。"

パンフレットに記載されている上演台本の瀬戸山さんの言葉。
私の生きている世界は、きっと、とても簡単でシンプルな世界。なのに、難しくて窮屈な世界と感じるのは、私自身がそう感じて生きているから。

自分が正しいと思った路を信じて突き進んでいく勇気が欲しい。
間違いに気づいた時、正直に謝れる人になりたい。
こんな私に優しくしてくれる人がいたら素直に"ありがとう"と言える人になりたい。

当たり前のことだけど、こんな当たり前で簡単なことも出来ない大人になろうとしている。そう気づいた時、自分が怖かった。これから先、何かに負けそうになることもあると思う。そんな時は、忘れやすい気持ちだからこそ、この気持ちを思い出して頑張りたい。

観劇後、何度かあの夢をみた。
でも、目覚めた時、不思議と怖くはなかった。
それはきっと、怖さと不安の正体が分かったから。周りの評価の中で生きていくよりも自分の感覚を信じて生きていくことの方が正しいと感じたから。
自分の正しさ(正義)を守るには、きっと、乗り越えるべきことがたくさんある。簡単なことばかりじゃない。でも、私はひとりじゃない。オスカーにとってのエリみたいな、エリにとってのオスカーみたいな、大切な人がたくさんいる。

私は、私のために大切な人のために、私の思う正しい世界で正しく生きていく。

もっともっと感じたこと、考えたことがあった。舞台を観劇してこんなにも考えたのは久しぶりだった。切なくて悲しくて苦しかった。でも、嬉しかった。
改めて、MORSEという作品、カンパニーのみなさんに心から感謝します。

物語には終わりがあるけれど、きっと、オスカーとエリには終わりなんてない。
この先、どうか、オスカーとエリが幸せでありますように…。